パーフェクトマリッジと言う生き方
テーマ:
【パーフェクトマリッジと言う生き方】
パーフェクトマリッジと言う生き方は、人間が本来使用している「相対思考」「相対基準」を使うのを諦め、相対と言う幻想を見破り「三位一体基準」から全てを1つと捉えた本質的な在り方です。
だから思考様式がまるで違った生き方をしています。
全体性で全てを観る捉える在り方生き方は自然の摂理です。
パーフェクトマリッジは自然の摂理です。
人間の思考が考えだした部分的な教えでも理論でもありません。
まして私達が考え出したものでも有りません。
元々在る自然の摂理。
何故なら全員がこの世に自分自身の存在が誕生する時、父と母の組み合わせ=結婚を通して産まれてきます。
全員が自分自身のあるがままの存在を知る時に「自分の存在と父と母」の3つを合わせて「自分自身を知る」パーフェクトマリッジに立ち還る必要性があり、パーフェクトマリッジは人間全員にとって生命の理なのです。
私達の存在は元々分けられない、元々ひとつのパーフェクトなマリッジそのものなのです。
それなのに私達人間は相対思考を使っています。
人間の悩みの根源は、全てが相対思考と言う2極性を基準として「判断」していることに有ります。
相対思考は常に1つのものを2つに分けて理解したがるもの。
判断して相対思考の頭で知りたがるのです。
それは「良い」のか「悪い」のか。
自分は「出来る」ものか「出来ない」ものなのか等。
相対基準の頭で知る行為は全て「分かる」「分からない」と言う基準の中での行為です。
頭の中で分かろうとしている行為の元は、分からないから出来ることです。
分からないから頭は思考、エゴは知りたがり追求したがるのです。「分からないから知りたい」と。
それら2極性の大元は、自分自身の中の男性エネルギーと女性エネルギーの分離が原因です。
こう言うと人間の相対思考は、女性的資質と男性的資質の2つが有るようにしか捉えられ無いものです。
それこそが相対思考のなせる業なのです。(言葉は難しいですね。1つ1つしか表現出来ません。すると2つが存在しますから)
男性エネルギーと女性エネルギーとは「エネルギー」と言う表記の通り見えないものです。それぞれが違うものの様に捉えてしまいます。
しかし決して人間の私達が言う男や女的な存在ではありません。(頭で過去知っている男性的要素、女性的要素では無いのです。相対思考の知識では言葉自体に騙されてしまいますね。)
自分自身の存在が己自身を知る意志力と寛容性の様なものであり、これらは自分自身が体得して理解するものです。
そのパーフェクトマリッジの在り方生き方を貫く時男性エネルギー、女性エネルギーとは分かれて居ない同じものであることを自ら知り体得をしていきます!
逆に自分自身の中でそれらが統合されて居なければ、2極の分離は様々な葛藤を生み出しております。
実はその内なる葛藤を、私達は一人一人外側の現象として自分の世界に観ているのです。
「葛藤」とは言葉の如く自分ひとりが闘い争っていることですから、「自分」はひとりなのに2人の自分が存在することになってしまいます。
2人の自分が常に葛藤を起こし、外側との比較を起こし、常にいつも自分に優劣の判定を付けています。
自分が2人居ればどちらの道を選択するか常に彷徨いと迷いの連続にもなります。
相対基準で生きていること自体が「判断」と「疑問」の連続なのです。
本当は相対思考こそが人間の根本的な悩みであり、問題なのです。
パーフェクトマリッジと言う生き方とは、
その自分の中の2極性を、「三位一体」と言う新しい基準から捉えた合わせ鏡の認識を使います。
世界は認識なのだから。
認識=世界なのです。
自身の中で「ひとつ」として融合していくことを目的とした嘘偽り無い本来の生き方です。
己自身ひとり在るもの!これで良いのだ!と。
その感覚こそが自分との信頼関係を築き、
自分自身の存在と結婚し、
己独り在るものとして真実の時間で在る「現在」に寛ぎ、
真の至福と豊かさの中で在り続ける当に自分自身との結婚です。
だからパーフェクトマリッジなのです。
私達パーフェクトマリッジの会員は、各々が自発的に自分自身の世界を自身の認識一つで創造している実践者たちです。
出来なくても良い。
分からなくても良い。
相対に嵌まる時も有っても、、、。
出来るとか分かるとかを諦めて、
己自身の存在で生きているパーフェクトな在り方を日々続けることを大切に生きています。