7月は沖縄に参ります
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毎日暑いです。
7/9.10の土日沖縄に参ります。きっと暑いのだろう。
人間は普通に人間を生きます。
人間を生きて、人間に終わるのです。
それが生→死の1ベクトルの方向性の生き方で人間の「人生」です。
しかし、、
産まれた!とは産まれるその前が有ることを意味していますよ。
亡くなるとは、肉体が亡骸となりますが、何か残るものが有るってことを意味していますね。
死の後の世界があり、産まれる前の世界がある。
人間はそこから産まれて、そこに還り着くのですが、では。
そこから産まれて人間を生きて、人間として終えてからそこに還る為に生まれて来るのでしょうか?
死んでからでないと本質に戻れないのでしょうか?
そして又産まれて来るとは、なんのために?
又人間を生きる為でしょうか?
何度も何度も同じことを繰り返す為に私達は産まれて来るのでしょうか?
答えは「否」です。
生まれた!とは、産まれる前に在る自分自身の存在の方に元々産まれた目的が有って、そして生まれて来ました。
生きている間に、肉体を持ちながら自分自身の存在に戻る為です!
人間を生きることも人間プログラムのうちです。
これはこれで良いのですが、、、、。
肉体を!持ちながら!とは。
肉体を持ちながら、肉体を持っている側の存在を生きる。
そのために肉体も携えて自ら生まれて来たのです。
人間プログラムを知っている側になって生きる!
「死んで戻る」と言う人間の生き方は、生きている間には本質のことを亡き者にしたり、又は疑ったり否定したり、抵抗して自我の目的に騙されたまま、自分自身の存在との関係があまりにも良くないから〜自分自身と自我との間にズレが大きく成り過ぎて「死」を持ってリセットするのです。
又0からやり直す為にそれは自然に起こること。
それが時間の有る世界観。
過去→未来の方向性が有る世界観。
何度も繰り返す輪廻の世界観で、これが人間です。
生きている間に、肉体の有る間に!
自分自身の存在と出会い、産まれる前の自分自身の存在の目的を全面的に受け容れることが出来て、人間=エゴ=相対基準を諦めて!
目的と基準自体が存在と同じになることがとても望ましいことです。
相対基準=エゴ基準を諦めることが起きてくれるのはそういう意味で、本当のことを知ればとても有り難いこと。
エゴ基準やエゴの目的をスッパリ諦めれるからです。
人間という過去→未来の方向性を諦めて!
今ここ現在に寛いで、存在の目的と存在基準に生き方を根底から変えれることは、
自分自身の存在と自我との間に有った溝に、和合の虹の架け橋が架けられて!
自分自身とのマリッジを果たすこと。
生きている間に!肉体を持ちながら!
自分自身のプログラムを一切の否定もなく、そのままあるがまま治さず!如何なる時も許容し続けるって!
そんなことはパーフェクトな存在にしか無理なこと。
しかし、自分自身の存在に戻ってそこから基準を存在基準にしたら!それは可能なのです。
今回の人生=プログラムをパーフェクトなものにしていけるのも!あるがままの存在だからです。
パーフェクトマリッジとは人間の観念のあの結婚ではなくて自分自身と自我との統合です。
それ程自分自身との信頼関係が最もこの世で一番尊いものなのです。